ザック・ワイルド、ガンズ・アンド・ローゼズに加入する寸前だった時の逸話を語る

ザック・ワイルド(Zakk Wylde)は、ガンズ・アンド・ローゼズ(Guns N’ Roses)に加入する寸前だった時の逸話を、ポッドキャスト『The Magnificent Others with Billy Corgan』で語っています。このオーディションの不運な結果が、オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)のバンドを脱退し、ブラック・レーベル・ソサイアティ(Black Label Society)の結成につながったと明かしています。

「ギルビー(クラーク)がバンドを辞めたので、アクセル(ローズ)は“じゃあ次のギタリストは誰にする?”と考えたんだ。スラッシュが何人か候補を挙げた中に俺の名前も入っていたらしい。

オジーのバンドに入った頃にスラッシュとは知り合った。ちょうどガンズがブレイクしてた時期。スティーヴン(アドラー)とも知り合いだったし、マット(ソーラム)とはザ・カルトにいた頃からの顔なじみなんだ。だから、みんなある程度つながりがあったんだよ。

ある日アクセルから電話がきて“ザック、一緒にジャムらないか?”と言われたので、俺は“いいよ、やってみよう”と答えたんだ」

ザックはリハーサル・スタジオでバンドと合流し、「ジャムったり、アイデアを出し合ったりしていた」という。ザックはさらに「いくつかのリフを録音した」とも振り返り、そのうちの1つがブラック・レーベル・ソサイアティのデビューアルバム『Sonic Brew』に収録されている「The Rose Petalled Garden」になったと回想しています。

このセッションの後、ザックによると「何も具体化しなかった」そうで、オジーから「お前はあの連中とやるつもりなのか、それとも俺たちとやるつもりなのか?」と尋ねられたこともあったとザックは明かしています。当時ザック本人も状況がよくわかっていませんでした。こう続けています。

「(ガンズ・アンド・ローゼズのことは)何も進んでいなかった。オジーの方は、アルバム『Ozzmosis』をリリースする準備をしていて、ツアーの準備もしていた。オジーは“ザック、座れ。しばらくジョー・ホームズを呼んでプレイさせてみることしたから”と言われた」

結局、ガンズ・アンド・ローゼズとの仕事は実現せず、ザックは「ボス(オジー)と演奏する」立場でもなくなり、困難な状況に追い込まれました。彼には新たな創作の場が必要でした。

「『Ozzmosis』を制作していた時、レキシントンの34番街に『Bruise』という店があった。1908年から続くパブでね。レコーディングが終わると毎日朝6時まで飲みながらジュークボックスを楽しんでいた。

そこでは、ストーンズやボブ・シーガー、ニール・ヤング、イーグルスといった素晴らしいメロウなアコースティック曲がたくさん流れていた。(その影響で)部屋に戻ってアコースティックギターを手に曲を書くようになった。あの時期に(ソロアルバムの)『Book of Shadows』を作ったんだ」

アルバムのサポートツアーを終えた後、ザックは自分がまだ「シンガーソングライターとしての準備ができていなかった」と気づきました。彼は、オジーやガンズ・アンド・ローゼズが自分抜きで進んでいく現実を認めつつも、「夢が終わった」とは受け入れられなかったので、ブラック・レーベル・ソサイアティをゼロから築き上げることにしたという。

「オジーと一緒にアリーナやスタジアム、フェスで演奏していたのに、5人くらいしか客のいないクラブでプレイするようになった。俺には他の選択肢なんて何もなかったからね」

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