Live-Riot Historyライブ・暴動こそがGN'Rの歴史!?

■ GN'Rの魅力を語る上において、外すことが出来ないのがその圧倒的ライヴパフォーマンス。しかしGN'Rはいつも安定し、無事にライブを終わらせてくれるとは限らない。そもそも、ちゃんとライブをしてくれるのかさえも保証されていない。
「ガンズに何が起きるかは、起こってみないと分からない」というゲフィンのスポークスマンの言葉は、冗談などでは無い。ここでは数多くあるGN'R事件史の中から、ライブを中心とした出来事の一部を紹介。

198X LIVE Happening

# 1987 - 11月
アトランタでの公演。彼らの友人の一人が、はっきりした理由も無いのにセキュリティに手荒く扱われているのを見たアクセルが客席の中に飛び込み、そのセキュリティとケンカを始めたため、ショー2曲目の途中にしてアクセルは逮捕。アクセルは留置場に引っ張られて行ったが、バンドはこの騒動でステージを降りることも無いだろうと、残りのメンバーによるアドリブでショーを続けた。

# 1988 - 2月
アリゾナでのコンサート直前、アクセルが突然「ステージに立つのはイヤだ」と言い出して、他のメンバーはスラッシュ中心に アクセルの説得に努めたそうだが、結局譲らず。マネージャーがステージに出てコンサート中止のお詫びをしたが、当然ながら満員のオーディエンス は激怒したそう。なぜアクセルがステージに立たなかったのかは誰も口にしようとしない。

# 1988 - 夏
エアロスミスとの全米ツアー中、ステージにあがったアクセルの目の前で写真を撮っていたファトグラファーが邪魔に感じた アクセル。度々警告したようだが、下がろうとせず写真と撮り続けるフォトグラファーにカチンときたアクセルは、マイク・スタンドで相手を殴り付けた。

# 1988 - 8月
イギリスのドニントンで開催された『モンスター・オブ・ロック』。過去「最も安全なフェスティバル」と評されていたようだが、 GN'Rの演奏中に悲劇が。興奮したファンが前列に押しかけ、2人の少年が圧死、その他数名の重傷者が出てしまう。

# 1988 - 12月
初来日のGN'R。NHKホールで行われたライブ、この日は機材の調子が悪く、メンバー用のモニターが聞こえていなかった模様。 さらにはイジーのギターも不調だったようで、ペイシェンスのイントロをやり直している。そんな状態にイライラをつのらせるアクセル 「こんなくだらねぇこと止めて、とっとと帰ろうぜ」と、9曲プレイしただけでマイクを叩きつけて終了。「金返せ!」コールがあったというのは有名なお話。

# 1989 - 10月
ロサンゼルス、ローリング・ストーンズのサポートとしてのライブ。ステージ上でのアクセルの「Mr.ブラウンストーンを踊ってるヤツがいる」 というメンバーへのドラッグ乱用に対する言及、そして「(ドラッグ)問題が解決されない限り、これがGN'Rとしての最後のライブになる」という 様なアクセルの発言により、「GN'R解散か?」というウワサがチラホラ。

199X LIVE Happening

# 1991 - 6月
ワシントン近郊で公演中、アクセルが「観客がセキュリティから不当に乱暴な行為を受けているのを止めるため」に客席に飛び込む。ショウは一時中断。
少年が自分のベースボール・キャップをアクセルに向って投げ、それを拾ったアクセルが少年のキャップをかぶり、少し歌った後にキャップを少年に投げ返した。ところがコントロールをあやまって少年の前列の女性が取ってしまう。女性とキャップを取り返そうとする少年のもみ合いになり、これを客同士のトラブルと思ったセキュリティが割って入って少年をつかむと放り投げ、その上に飛びかかったようだ。歌いながら一部始終を見ていたアクセルは"Hey! Hey!"とマイクを持ったままセキュリティに飛びかかった。アクセルがいきなり客席に飛び込んだため会場はパニックに。バンドも演奏を止めて…、ということだった模様。

# 1991 - 7月
有名な7月2日、セントルイスでの事件。無断でビデオ撮影していた観客、そしてそれを放置するセキュリティにキレたアクセルは客席にダイブ、一暴れしてから(!?)ステージに戻り「ありがとう役立たずセキュリティ、オレは帰る」 とマイクを叩きつけてライブが終了してしまったから大変。80人ほどが負傷、16人逮捕という暴動になった。ステージに押し寄せた観客が機材を盗むなどして、もう無茶苦茶。アクセルはこの件で逮捕され、執行猶予付きの有罪に。度重なる出頭要請を無視していたこともあって、結構な保釈金を払った模様。

# 1991 - 7月
セントルイスの事件で中断されていたツアーは再開されたのだが、その矢先、ダラスでのショウの途中観客の誰かがウイスキーのボトルをステージに投げ込む。アクセルが怒ってショウをストップさせる。その後犯人が逮捕されたこともあって、なんとかライブは最後までいったそうだ。

# 1991 -
続くサウスカロライナのショウではナイフを持ったファンがステ-ジに上がってスラッシュに突進(これはファンなのだろうか?・・)。クルーが男を取り押さえたためにスラッシュは無事だった。

# 1991 - 8月
ヘルシンキでのライブ、「WELCOME TO THE JUNGLE」のイントロ部分で突如アクセルがステージから消えてしまう。この後バンドは20分以上ボーカル無しでショウを展開、その後アクセルは何事も無かったようにステージに復帰。いったいアクセルに何が起こったのかは謎。

# 1991 - 8月
デンマーク、コペンハーゲンでのライブ。この日ステージに投げ込まれたのは爆竹。もちろんアクセルが黙っているはずもなく、「犯人が名乗り出ない限り、ステージには戻らない」と引っ込んでしまう。この後、しばらくしてアクセルが復帰したおかげで暴動には至らなかった。

# 1991 - 8月
ロンドン、ウェンブリースタジアムでのライブ。GN'Rはイギリス政府から「ステージ上で下品な言葉は慎むように」と通達されており、イギリス政府のスポークスマン曰く「彼らは通達書に従うと約束した」らしいのだが…。アクセルは「Mother Fucker!」を連発、さらに観客を「You're all fuckers」と呼ぶなど、いつもと変わり無く振る舞ったのだった。この件でもう二度とウェンブリースタジアムの使用許可が出ないかもしれないとまで言われた。

# 1991 - 12月
開演が余裕で2~3時間遅れて始まるGN'Rのライブ、この頃のチケットは「開演○○時頃」と書かれてしまう。

# 1992 - 1月
オハイオ州、デイトンでのライブ。「IT’S SO EASY」の演奏中にあまりに勢いに乗り過ぎたアクセルはブッ壊したマイクスタンドで手に深い傷を負ってしまう。このキズは骨まで達していたというが、気合でこの日のライブをやりきる。しかし、続くデトロイト公演をキャンセル・延期した。

しかもこのデイトンでのライブ、「開演は8時頃」とされていたそうだが、アクセルが会場に着いたのが真夜中、ショウが終わったのがAM3時(!!)。チケットの払い戻し騒ぎ、さらには会場側に罰金を払う始末となった。

# 1992 - 2月
GN'R2度目の来日。ステージが契約と違っていた事に腹を立てたアクセルは、演奏終了後にステージ前にあったモニターを2台、蹴り落して、そこにマイクを叩き付けて去っていった。

# 1992 - 8月
メタリカとのダブルヘッドライナー(事実上、いつ始まるか分からないGN'Rのショウのことを考えて、常にGN'Rがトリになっていた)ツアーでの事件。メタリカのショウの途中、パイロの爆発によりジェイムズ・ヘッドフィールドが火傷を負い、演奏を続けることが出来なくなり、病院へ直行。この事故により、次のGN'Rのショウまで2時間以上待たされた観客は荒れ気味な雰囲気に。GN'Rは何曲か演奏したものの、アクセルのノドの不調によりコンサートは中止(一説にはアクセルが観客の状態を微妙に感じとって、ショウを続けるべきではないと判断したのでは、との意見も)。

これにより暴動が発生、200人あまりの武装警官が出動、12人が逮捕されることとなった。マーチャンダイズ売り場が破壊、放火されるなど、収拾が不可能な状態に。暴動には約2千人の人が加わっていたそうだ。

# 1992 - 11月
南米ベネズエラでクーデターに巻き込まれてGN'Rのメンバー死亡のウワサも。2日だったはずのコンサートが1日になり、さらにプロモーターがありったけのチケットを売りさばき、当日会場に入れない観客が暴動を起して警官が出動する騒ぎに。数人のファンがケガをして、会場周辺の物もいろいろ壊された模様。
# 1993 - 4月
サクラメントでのライブ。「NOVEMBER RAIN」の演奏中に観客が投げたボトルがダフの頭を直撃、ダフは気を失ってしまいライブはそこで中断、そして中止に。この時は大きな暴動にならずに済んだ。

■ 参考メモ
1992年、アメリカで最も多くのチケットを売ったのがU2、70回のコンサートで6380万ドル(約80億円)を売り上げた。続くのがメタリカで、53回のライブで3230万ドル(約40億円)、次がガンズ・アンド・ローゼズで、36回のライヴで2910万ドル(約36億円)を記録。

1993年、フォーブス誌の選出による「世界で最も稼いだバンド」で1位に。そして「最も稼いだエンターテイナー」で4位に。ちなみに他には2年間で4700万ドル(約50億円)稼いだU2(8位)、2年で3700万ドル(約39億円)稼いだマドンナ(15位)、2400万ドル(約25億円)稼いだポール・マッカートニー(33位)などが入っていたそうだ。

200X LIVE Happening

# 2002 - 11月
本当に久しぶりのワールドツアー。その北アメリカツアー初日となるはずだったバンクーバーでのショウがいきなりキャンセルになったのだ。アクセルが会場に向かっている途中でプロモーターが勝手に中止を決定してしまったのだと、GN'R側は主張しているが、この中止によって暴動が起こり、逮捕者まで出る騒ぎに。

# 2002 - 12月
フィラデルフィアでのショウが開演時間になっても始まらない(これはいつものこと?)。しかしこの日は観客が待っているにもかかわらず急遽ライブは中止に。それはアクセルが会場に現れなかったことが直接の原因だが、なぜアクセルが急にこの様な行動に出たのかは謎。このことでちょっとした暴動が発生。さらに、この後に予定されていたツアーは全てキャンセルされるという事態に。