ガンズ・アンド・ローゼズがゲフィンと契約した日

uDiscoverMusicJP 2018.03 Written by Paul Sexton

1986年3月25日、ロサンゼルスのトルバドールでの初のライヴから約1年がたった頃、ガンズ・アンド・ローゼズは、彼等に世界的な地位と名声を与えることになるレコード契約を結んだ。ゲフィン・レコードが彼等と契約を結ぶと、1980年代最も注目される新人ロック・バンドに関する評判は、カリフォルニアを越えてすぐに広まっていった。

ガンズ・アンド・ローゼズは、騒々しく、露骨なロックン・ロールを演奏するという簡素な理由で注目を浴びることになった。しかし、それらは当時の髪の毛を逆立て甘いバラードを歌うヘア・バンドやシンセサイザー・ロックによって希薄化された“ロック”が持つ根源的なルーツへの回帰であった。カリスマティックなフロントマンのアクセル・ローズ、華麗なギターを披露するスラッシュ、リズム・ギターのイジー・ストラドリン、そして非常にソリッドなリズム・セクションのベースのダフ・マッケイガンとドラムのスティーヴン・アドラーで成り立っており、非常に攻撃的で、大胆不敵で、強硬なバンドだった。

バンドは、トルバドールやそれよりも大きな会場であるロキシーや、ウイスキー・ア・ゴー・ゴーなどで休みなくギグを続け、LA周辺でカルト的な人気を獲得し、その評判を広げていった。彼等に関する噂が広がるにつれ、レコード・レーベルのA&Rエクゼクティヴがそのざわめきをどんどん広めていった。そして、ゲフィンのトム・ジュートとテレサ・エンセナットは、レポートによると75,000ドルでバンドと世界契約を結んだのだ。

1987年の夏にリリースされることになるデビュー・アルバムを録音し始めると、バンドとレーベルはアルバムの発売より先に12インチのアナログEP『Live ?!*@ Like a Suicide』を限定1万枚でリリースした。これは表面上はインディ・レーベルのUzi Suicideからのリリースであったが、しかし実際には、ゲフィンがインディ・レーベルを装った発売だった。

1987年の春までに、ガンズ・アンド・ローゼズはアルバムのレコーディングをこなし、アイアン・メイデンの全米ツアーのオープニングを務め、6月には、彼等の世界デビュー・ライヴとなったロンドン、マーキー・クラブでのライヴを行なっていた。7月には、モトリー・クルーとツアーを行い、8月にはバンドのデビュー・アルバムとなる『Appetite For Destruction』をリリース。このアルバムは「Welcome To The Jungle」「Paradise City」「Mr. Brownstone」、そしてもちろん「Sweet Child O’ Mine」といった12曲の新曲が収録されており、マイク・クリンクがプロデュースした。

その後、14ヶ月に亘りツアーが続き、LPはレーベルの記録を破り、世界中で3,000万枚を売り上げた。ガンズ・アンド・ローゼズの伝説は、今なお、広がり続けている。