■ 1993 ■
[01月12,14,15日]
『東京ドーム』にて来日公演。最終日には、ちょうど来日中で同じホテルに滞在していたロン・ウッドが飛び入り。

[02月23日]
コーラスやホーン・セクション等を排除した6人編成での全米ツアー"Skin And Bones tour"を開始。

[04月03日]
サクラメント公演、アクセルがMETALLICAのラーズ・ウルリッヒを「チビのオカマ野朗」と発言したため、ファンが腹を立てボトルをステージに投げ入れた。ボトルが頭に直撃したダフは気を失いライブは急遽、中止。

[04月29日]
ギルビーがチャリティー・レースのバイク事故で左手骨折。その代役として5月22日からの欧州ツアーでは、当初の5公演でイジーを起用。

[05月]
ロシアのモスクワで予定されていた公演が中止に。

[06月21日]
ビデオ"Don't Cry - Makin' Fucking Videos Part I" と "November Rain - Makin' Fucking Videos Part II"をリリース。

[07月17日]
ブエノスアイレス公演をもって、'91年春から続いたワールド・ツアーを完了。

周った国は計27ヶ国。計192回のショウ。ツアー動員数は700万人以上。

[09月]
スティーヴンが在籍時の契約内容をめぐり告訴。バンド側が230万ドルの示談金を支払うことで一応は決着。同月、JU JU HOUNDS再来日。

[10月08日]
ダフが初のソロ作『ビリーヴ・イン・ミー』を発表。欧州ツアーを開始。

[11月23日]
パンク系を中心としたカヴァー集、『ザ・スパゲティ・インシデント ?』発表。13曲目に隠しトラックとして収められた「ルック・アット・ユア・ゲーム・ガール」が凶悪殺人犯、チャールズ・マンソンの作である事実が物議を呼ぶ。

米フォーブス誌の選出による「世界で最も稼いだバンド」で1位に。そして「最も稼いだエンターテイナー」で4位に。

■ 1994 ■
[01月]
L.A.大地震。スラッシュとギルビーの自宅が被害に遭う。

[01月19日]
ダフ来日公演。

映画『ハイランダー 3』に出演が予定されて居たアクセル、撮影時間に現われずスタッフを待たせ、結果、役を降ろされる。

[04月25日]
ビデオ"The Making Of Estranged: Part III Of The Trilogy"リリース。

[夏]
ギルビー解雇。同時にイジー復帰、デイヴ・ナヴァロへの接近、アクセルとスラッシュの不仲といった噂が飛び、新譜の制作が暗礁に乗り上げていることが明らかに。

ギルビーが初ソロ作『ポーンショップ・ギターズ』を発表。

[06月26日]
ロンドンでのギブソン100周年記念イベントにスラッシュが出演。ジョー・ペリー、ジミー・ペイジと共に『リヴィング・レジェンド』賞を受賞。

[08月14日]
『ウッドストック '94』でスラッシュがポール・ロジャースと共演。

GN'Rをモチーフにしたピンボール・マシンが登場。未発表が聴かれることも話題に。

ギルビーの後任にアクセルの旧友、ポール・ヒュージが迎えられる。

ハロウィンの夜、アクセル宅でのパーティに招待されたスラッシュが、当のアクセルに避けられ、キレまくる。

[12月]
『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のサントラ盤発売。GN'RはROLLING STONESの「悪魔を憐れむ歌」をカヴァー。

GN'R解散説が英国大衆紙『サン』を皮切りに交錯。原因は「次作用だったはずの曲をスラッシュが無許可で自らのアルバムでの使用を決めた」ことにより彼とアクセルの間に亀裂が生じたためと報じられる


Suicide Shift