ダフ・マッケイガンのキャリアを振り返る。ガンズやスーパーグループで活躍するベーシストの変遷

uDiscoverMusicJP 2022.02
Duff McKagan: A Rock Renaissance Man
udiscovermusic.com 2021.02.05 By Wyoming Reynolds

ダフ・マッケイガン(Duff McKagan)は、ガンズ・アンド・ローゼズという史上最高のハードロックバンドのベーシスト、というだけの存在ではない。2019年にリリースされたソロ・アルバム『Tenderness』が証明しているように、シアトル出身でロサンゼルス在住のこのミュージシャンは、今までに様々なキャリアを切り開いてきたのだ。そんな彼の経歴を振りかえろう。

パンク・ロックのルーツ
1964年2月5日に生まれたダフ・マッケイガンは、シアトルでパンク・ロックとプリンスの両方を聴いて育った。15歳の時に最初のバンドであるThe Vainsに参加してベースを担当した。

1980年には、シアトルの先駆的なバンドであるThe Fastbacksにドラマーとして加入。その後、急成長したハードコア・ムーブメントに対するシアトルからの回答といわれるThe Fartzに移籍する。The Fartzは後に10 Minute Warningへと発展し、ダフはドラマーからリズムギターに担当を変更し、グレッグ・ギルモア(マザー・ラヴ・ボーンのメンバー)にドラムの仕事を任せた。

プロのミュージシャン志望のダフ・マッケイガンにとって、シアトルでの生活は満足できるものだったが、ダフはより大きな成功を目指して、1983年に南カリフォルニアへと旅立った。そこでダフはとあるミュージシャンが募集していたベーシスト募集のチラシを見て連絡をすることになる。そんな彼と同じ行動をとった二人のミュージシャンがいた。その二人の名前はスラッシュとスティーヴン・アドラー。あとは、皆さんご存じのとおりだろう。

ジャングルの中へ、そしてソロへ
ダフ・マッケイガンは、スラッシュ、スティーヴン・アドラー、アクセル・ローズ、イジー・ストラドリンとともに、ロック界の完全制覇を目指した。彼らのバンド、ガンズ・アンド・ローゼズは、今も昔もハードロック界において最も象徴的なバンドのひとつだといえよう。そしてダフは、世界で最も有名なバンドのベーシストとして活躍しながらも、さまざまな道を模索し、あらゆる意味でクリエイティブな活動を続けてきた。

ガンズ・アンド・ローゼズの人気が最高潮に達していた1993年、ダフは初のソロ・アルバム『Believe in Me』をリリース。当時のガンズはあまりにも大きな存在となり、運営もサウンドも変化していたが、ダフはこのソロ・デビュー・アルバムで、ガンズ初期のサウンドを表現した。このアルバムではダフは、エンジニアのジム・ミッチェルの協力を得て、セルフ・プロデュースを行うとともに、すべての楽器を演奏している。

『Believe In Me』では、ダフの唸るようなヴォーカルと彼の特徴的なサウンドであるブルージーなハードロックが披露されただけでなく、彼が音楽界で最も信頼される人物の一人であることも証明された。このアルバムには、ガンズのバンドメンバーをはじめ、レニー・クラヴィッツやジェフ・ベック、さらにはセバスチャン・バッハとスキッド・ロウのメンバーなど、多くのゲストが参加している。

スーパーグループへの加入
1995年、ダフ・マッケイガンは、セックス・ピストルズのスティーブ・ジョーンズ、デュラン・デュランのジョン・テイラー、そして当時ガンズのドラマーだったマット・ソーラムと一緒に、ダフのキャリア第2章の始まりを告げるスーパーグループを結成した。

ニューロティック・アウトサイダーズ(Neurotic Outsiders)と名付けられたこのグループは、サンセット・ストリップのヴァイパー・ルームで即興のジャム・セッションを始め、1996年にセルフ・タイトルのアルバムをリリースした。

1997年8月にダフはガンズを脱退して、シアトルに戻り、10 Minute Warningを再結成するよう説得された。再結成されたバンドは1998年にクリストファー・ブルーがリード・シンガーとなり、短期間のツアーを行った後、同年夏の終わりに解散した。

その翌年、ダフは次のソロ作品となる『Beautiful Disease』の準備を始めた。セッション・ドラマーのエイブ・ラボリエルJr、ギタリストのマイケル・バラガンとイジー・ストラドリンを起用したが、タイミングが合わず、作品はレーベルの合併によって棚上げされ、無期限の保留となってしまった。幸いなことに、彼がツアーバンドとして採用したミュージシャンの中には、パンクのサイド・プロジェクトであるローデッドがあった。オリジナルのラインナップには、バラガン(プレキシ)、デズ・カデナ(ブラック・フラッグ)、タズ・ベントレー(ザ・レヴェレンド・ホートン・ヒート)が参加していた。

ローデッドでは、マッケイガンがフロントマンを務め、ブラック・フラッグ、レヴェレンド・ホートン・ヒート、グリーン・アップル・クイック・ステップ、エイリアン・クライム・シンジケートのミュージシャンが交代で参加。その後、ローデッドは解散と再結成を繰り返す中、ダフは元ガンズのスラッシュとマット―・ソーラム、ギタリストのデイブ・クシュナー、元ストーン・テンプル・パイロッツのヴォーカル、スコット・ウェイランドとともに最終的にベルベット・リボルバーが誕生することになる。

ベルベット・リボルバーは、オーディオスレイヴ、テンプル・オブ・ザ・ドッグ、ラブ・バッテリーといったスーパーグループが台頭していた時期に登場し、グラミー賞も受賞したシングル「Slither」が大ヒットとなりデビュー・アルバム『Contraband』も全米1位を獲得するなど成功を収めた。バンドは惜しまれつつも2008年に解散したが、これがダフの最後のスーパーグループではなかったことは確かだ。

引く手あまたのベーシスト
様々なバンドでの活躍の後、ダフ・マッケイガンの存在は引く手あまたとなり、アリス・イン・チェインズを経て、2010年にはジェーンズ・アディクションに参加し、その間にはローデッドの再結成も果たしている。ベルベット・リボルバーでの活動、ガンズ・アンド・ローゼズへの再加入、ローデッドでのアルバム制作など、ダフ・マッケイガンはロック界で最も勤勉なベーシストの一人といえるだろう。

スタジオに戻る
これだけ多くのサイド・プロジェクトやスーパーグループを経験していると、ダフが一緒に仕事をしていないロック畑のアーティストを見つけるのが難しいぐらいだ。ダフは、スラッシュ、イギー・ポップ、ストラドリン、マーク・ラネガンの作品においてスタジオ・ミュージシャンを務めたほか、メイシー・グレイやブリットポッパーのマニック・ストリート・プリーチャーズなど、専門外のアーティストの作品にも参加している。

ミュージシャンの活動以外にも、シアトル・ウィークリー誌やESPNにコラムを寄稿したり、プレイボーイ・オンラインには「ダフォノミクス(Duffonomics)」という金融コラムを書いたり、ベストセラーとなった自叙伝『It’s So Easy (And Other Lies)』を執筆するなど、執筆活動にも力を入れている。

ソロの新章
記録的成功となったガンズの再結成ツアーを終えたダフは、2019年に3枚目のソロ・アルバム『Tenderness』をリリースした。シューター・ジェニングスがプロデュースしたこのアルバムは、彼のルーツであるパンクとはかけ離れた、シンガー・ソングライターとしてのサウンドが収められていた。

とはいえ、彼のキャリア変遷を追っていれば、この転向は驚きではないはずだ。慣習にとらわれず、さまざまなジャンルやミュージシャンに手を出してきたアーティストだからだ。それこそがダフ・マッケイガンであり、新しい音の道を探ろうとする大胆不敵なアーティストなのだ。